なんとなく安曇野。

赤、黄、緑色の物体を生産しています

   

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象っ鼻りんご。可愛いですが格外。

 

11月初旬から始めたふじりんごの収穫、選果、出荷の仕事がようやく落ち着きました。手元にあるりんごはもう僅かですので、あと数日大切に販売してもう本当に終了となりそうです。忙しい時は夢中でやってますが、終わりが見えてくると、いつも一抹のさみしさを感じます。といってもダラダラやりません。やめるときはスパッと終了とします。

冬の剪定にはじまり、春に花が咲いて、摘花、摘果となって収穫期を迎え、収穫後は仕分けと出荷発送の仕事があるのですが、どの段階の仕事においても工夫する余地がまだまだあって、今後さらに自分の農園を発展させていくにはどうすべきかなどと、雪がチラチラ舞うこの時期、来期に向けて考えをめぐらしたりもします。

僕の農園の規模、置かれている状況からすると、下手に加工に手を出したり、色々な所が言うてはるキャッチーな方向に進むのではなくて、農家としての一番ベースになる高品質な農産物を安定的に沢山作る基盤をどんどん固める方向に、自分の持てるものを突っ込んでいく方が良いと考えています。

まぁしかし、これがなかなか奥が深く、だれでもできる仕事ではなかったりします。

 

今年の収穫状況を振り返ると、樹齢50年を越えるふじの大木のある畑の生産性が著しくヨロシクない事が判明しました。数年前から薄々分かってはいたのですがね・・。わかるというとあっさりさらっとした感じですが、実際に収穫したリンゴ箱を各グレードに分けてすべて積んで並べて数を数えた訳ですが、僕がホンマに求める収量の僅か20%程しか採れていない現実を目の前に突き付けられました。正直ショックです。木に果実がぶら下がっている状態ではそれなりの量がある様に見えるのですから不思議なのですが、日本の平均的な収量と比較しても40%ぐらい少ない数字です。つまり完全に採算割れの不良債権の畑な訳です。開心形と呼ばれる大きくゆったりと主枝が広がる樹形ですから、夏は素敵な木陰ができて、それはそれは素敵なひと時を家族と共にそこで過ごせるのですが、僕は趣味の園芸をしているのではないのでこれではいけない。絶対にアウト。

確かに素晴らしい果実がなる枝も沢山ありますが、それがとても高いところにあったりしますから、大きな脚立を使わないといけなくて労力も沢山必要です。

 年配のアルバイトの方の動きはよく見ていますが、自分の何十年先の姿でもある訳であんな重い脚立で、あんな高い所のりんごを収穫するなんて、自分には無理だと思っています。僕は昔から体力も根性も余りありませんが、今もたいして無いし、間違いなく未来の自分にもないだろう。そう思っています。笑。だからジジイになった自分でも最高のパフォーマンスを発揮できるりんご園になる様に、今から色々考えて手を打っとかないといけません。

 

さてと、ダラダラ書いてまとまりがなくなりそうなので、最後に少し前に読んだ本で知ったラインボルト・ニーバーの「ニーバーの祈り」という詩をのせて今日は締めくくりたいと思います。仕事を進める上でも、生きていく上でもとても示唆に溢れた素敵な詩だと思いました。

 

ニーバーの祈り

 

神よ

 

変えることのできるものについて、


それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。


変えることのできないものについては、


それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。


そして、


変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

 

識別する知恵を与えたまえ。