なんとなく安曇野。

赤、黄、緑色の物体を生産しています

   

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ナガフ12/JM7。5年生。トール・スピンドル

 

お手伝いの皆さんの力を借りて毎日1~2トンピッチでふじの収穫を進めています。

まるちゃん農園のふじ畑は数か所あるので、果実の熟し具合、仕事の段取り等色々勘案して、どの順番で収穫作業を進めるのが最適なのか考えながら仕事を進めています。

 

僕の農園では多数の品種を栽培していますが、全体の50%は現在収穫中のふじリンゴです。ふじが収穫できるまでにも美味しい品種は沢山ありますが、ふじの収穫が始まるとこれと張り合える品種はそう多くはないでしょう。(はるかはちょっと例外ですけどね(^^))

 

昭和32年(1957年)の日本国内のリンゴの栽培品種の割合をみると、国光が40%、紅玉が31%で全体の7割以上をこの2品種が占めています。しかし戦後から10年以上が経過し消費者の味覚も、より美味しいものを求め始めて、この2トップのリンゴの消費動向にも陰りが見え始めていたという背景があって、ゴールデン・デリシャスやスターキング・デリシャスが当時、高級品種として人気が高まってきていた。でもこの2品種も日持ちが悪くていま一つの感じ。

 

昭和44年の読売新聞の見出しには「箱代にもならぬ、市場初の大量廃棄」とあって、リンゴの本場青森での価格の大暴落が伝えられています。

 

リンゴ栽培農家にとっては大変な時代だったわけですが、そんな状況の中で、救世主の様に颯爽と現れたのが”ふじ”なのです。

 

ふじは昭和37年4月に品種登録されました。通常は登録を経てから普及となるのでしょうが、ふじは登録された段階で相当に普及が進んでいたため、登録と当時に果実の販売となったようですね。登録前に普及させるのは研究機関としても相当勇気がいったことだと思いますが、ふじというりんごの持つ品質の高さを物語る一つのエピソードだと言っていいでしょう。

 

「ふじ」という名前は当時研究機関があった青森県藤崎町の「ふじ」と日本一の山である富士山の「ふじ」が由来となっています。

 

ふじは現在、日本一どころか世界中のりんご産地で栽培されるスパースターに成長しました。

 

 

さて、そんなふじの収穫もあともう少し。張りきって進めたいと思います!!